山形県天童市は、将棋の駒生産量日本一として知られています。
明確な情報ソースがないのですが、全国生産の90%以上と言われています。
山形県のウェブサイトに日本一となった歩みが特集されています。
山形市の北側に隣接する人口6万3000人の天童市が、
日本一の将棋駒産地となった歩みをふり返ります。
天童市で生産が始まったのは江戸時代後期とのこと。
天童で将棋駒づくりが始まったのは、将棋が庶民に定着した江戸後期。当時、天童織田藩の財政は大変な窮乏に苦しんでいました。そこで、織田藩はかつて米沢藩から技を学んだ駒づくりで財政を立て直そうと、藩士たちに奨励。幕末には、天童伝統の草書体による書き駒の基礎が築かれたといいます
大きな産業となったのは明治時代。昭和初期に日本一となったそう。
駒づくりが本格的な産業となったのは明治期に入ってから。旧藩士が木地師と書き師に分かれて分業生産を始めたことで、天童は大阪などと並ぶ大量生産地となっていきました。さらに大正期に入ると、いち早く駒木地の機械化を開発。駒の書き手は、大人だけでなく子どもたちも担うなど、天童は町をあげての分業体制に入りました。「押し(スタンプ)駒」も導入した昭和初期には、大阪を退けて、全国一に成長します。
街を上げて将棋の町である天童市には、天童桜まつりでの人間将棋や、天童市将棋資料館など、将棋にまつわるものが沢山あります。一度遊びに行ってみたいです。